最近好きなものその2
夢佳です。
以前も書いたのですが、ひと月半ほど経ってまた色々触れたので最近好きになったものについてここらで備忘録をつけておこうと思います。
1.Dr.Stone
科学専攻だった姉にゴリ押しされてアニメ1期を見て、ちょうど始まった2期は姉と毎週欠かさず見ました。その後始まった某電子書籍サイトのセールで相談の上姉が漫画を大人買い、最新20巻まで読破しました。
最近には珍しいくらい「友情・努力・勝利」な純ジャンプ作品という印象。「科学」という一見地味なテーマをここまで面白くできるのか、と驚かずにはいられません。何より増えてきたキャラ一人一人があまりにも魅力的。主人公、千空の科学馬鹿×カリスマ性はもちろん、誰より仲間を大切にしてる自称蝙蝠男のゲン、人間性がジャンプすぎる龍水…5智将中心に、あれだけネームドのキャラを出しつつ全員きっちり役割と見せ場があるのが凄すぎる。全員好きだけど名前あげた3人+羽京が推しです。私に宇宙を見せてくれ、千空…
2.チェンソーマン
姉が買った漫画その2。いや知ってたけどやばい。これはやばい。崩壊した倫理観がもたらす妙な中毒性とえげつない戦闘シーンが癖になる…読み終わってからしばらくは早川家ショックかた立ち直れなかった(今も立ち直ったとは言ってない)。第2部が楽しみすぎますね。
3.繭、纏う
Twitterで見かけてからずっと気になっていた作品。戦時中、髪を徴発されることを厭った女性たちが自らの髪で糸を紡ぎ服を作った、という逸話から、髪で織られた制服をみに纏う少女たちが集う女学院のお話。
女子校出身だからこそわかる、あの「女の花園」感がグサグサ刺さるのです。まあ我が母校はまたちょっと特殊だけれど、思春期の女子しかいない場所特有の悩みとか感性のみずみずしさとかがすごく好きです。華の葛藤が苦しいね…どうか彼女たちの行く末に幸あれ、と願わずにはいられません。
4.HUMINT
これは昔某サイトで見つけて「やべえなこれ」と思っていた人の作品。1巻だけ買って後回しにしていたのでこの機に、と思って揃えました。
乱暴されている女性を助けたら実は男で、しかもその男はスパイに盗聴、ハニートラップまで汚れ仕事はなんでもこなす民事諜報機関所属の機関員でした、というとんでも設定。これも出てくる人みんなめちゃくちゃ良い…この作者の方の特徴として、セリフも独白も描写も、とにかく言葉が重たくて。そこが言葉オタの私にドンピシャ刺さった理由です。本田と姫宮、それぞれが抱えていたものとどう決着をつけたのか、最終巻が最高でした。
5.ナポリの男たち
実況者グループです。めちゃくちゃ面白いです。たいして仲良くなかったアラフォー陰キャおじさん4人が真剣に「おもしろいものを作ろう」とくだらないことで大盛り上がりしています。一番最初に見たのは何だったかな…実況者PUBG?そこからポケモン、どう森、呪怨、生放送と色々みて、今の作業用BGMはもっぱらナポリか蘭たんです。実況歴は最長なのに最年少の実況神ジャック・オ・蘭たん、古参なのに自称28歳(先日40になった)関西弁の大声実況すぎる、エグすぎる縛りを自ら課す個人実況が面白いナポリのゲラ担当shu3、陰の者が集まるナポリでも際立つ闇を抱えた実況界のすごい人hacchi。毎週土曜日が楽しいです。娯楽をありがとう。
6.八咫烏シリーズ
「烏に単は似合わない」から始まる八咫烏シリーズに見事沼りました。どぼん。
ポスト小野不由美、上橋菜穂子の呼び声も納得の重厚な和風SFでした。後半の拡げた風呂敷の畳み方が若干急ぎすぎた感じはしたけれど、1巻のどんでん返しっぷりとか主人公格である雪哉の描き方とか、宮中物語×SFとか、もうすごいの一言、1日で単行本とはいえ小説6冊読破は人生初です。ますほ様とか浜木綿様とか女性が強いのもいいですね。最推しは澄尾です。2部で幸せになりますか…いやそもそも前提として1部ラストの状況が既に幸せとは程遠いんですけど…
立場を変えると景色が一変する、というのを文章でこんなに上手くできる人はいないんじゃないかと思う。1巻のあせびといい2巻以降の雪哉と若宮、ラストの山神、八咫烏、猿の三柱の神々といい、それぞれの葛藤の描写が真摯で刺さります。「正義」てなんだろう、「正しさ」てどこにあるんだろう、と考えては出ない答えに泣きたくなる。
久々に、読み切ってからもふとした時に手に取っては読み返してしまうガチのハマり方をした作品です。これも第2部と短編集の2巻が楽しみです。
今日も書いたな笑
ヨガ行って英会話×2以外特に何もできなかったのでせめて、と思って筆を取りました。明日は色々やろうな…
ではおやすみなさい。
コンバーターの矜持
こんにちは、夢佳です。
GWも終わりまた忙しくなるぞ、と思っていたら諸事情により在宅勤務になったおかげで体力が余っている今日この頃です。
ということで、このブログを始める動機になった内容を綴ってみます。(下書きに2週間くらい温めてました)
テーマは「言葉」です。自分自身と向き合うためにいつかは言語化せねばと思っていたことです。
私は言葉が好きです。言語文化学部という専攻もそうだし、何より言葉や文章に触れるのが好きです。「読書好き」というには「本」を読む時間は少ないですが、某投稿サイトや名刺メーカーのSS、歌の歌詞カードを読むのも大好きで、こうして極偶にではありますが文章も書くので、活字に触れている時間は長いかなと思います。
「言葉」が好きなのです。
文豪と呼ばれる人たちの作品がどうにも苦手なこともあって、「言葉に貴賤はない」が持論です。
純文学もライトノベルも漫画も某投稿サイトも、広告のコピーライトも曲の歌詞も舞台作品のセリフも、全て私にとっては等しく愛すべき言葉です。
こんなだからか言葉に対する記憶力は結構良くて、一度読んだ作品は基本忘れないし、舞台も映画も一回見ればほぼ内容(セリフ起点)は覚えます。
じゃあなんで言語化、文章化してこなかったのか?
その答えは簡単で、私に出来るのは変換でしかないからです。
人の話をまとめたり要約したり、言い換えたりは得意、でも一から自分の意見を練っていくのは得意じゃなくて。創造は私には分不相応な仕事です。
私は変換機、コンバーターなのです。
何かを作り出すことはできない。けれど、言葉を集め知識を蓄えることで私という変換器の価値は高めていけて、「わたしが変換した」という付加価値が生まれるのでは?
創り出すことは出来なくても、情報過多な今の社会において、今あるものを理解し噛み砕き、整えて磨いて出力する変換器も結構必要な役割じゃないでしょうか。
たぶん私の出来ること、私の役割はそこにある。
英語が、外国語が好きなのも、日本語じゃ自分の気持ちや出会った事象を表すには力不足だから。強くてストレートな気持ちの変換には英語だし、繊細な表現は日本語がいい。
日本人はよく怒るのが下手だと言われる。それは、激情を変換するのに日本語は繊細すぎる言語だからだと思う。
かく言う私も怒るのはすごく苦手です。ちょっと違うか?あらゆることに怒ってはいるけれど、その怒りをエネルギーに変えたり、外に出すのが酷く苦手。噛み砕いて飲み込んで、溶けて消えるのを待つくらいしか出来ない。その噛み砕く手段のひとつが英語だったりする。
腹立つ!苛々する!マジなんなの!?
日本語だと罵倒の手段が多すぎて思考の前に単純な怒りの発露になりがちだけど、英語で同じことをする語彙力は私にないから、必然的に思考回路はシンプルになります。
負の感情も、日本語だと変に捏ねくり回して自分を納得させてしまうから、むしろ限られた語彙しかない英語の思考回路は私の気持ちを包み隠さず表してくれたりする。
限られた語彙しかないから、出てくる言葉も結論も気持ちもシンプルで真っ直ぐ。その真っ直ぐさが心地よかったりするのです。
でも結局、回りくどくて面倒臭い、けれど何よりも繊細な日本語が一番好きです。だから日本語も沢山集めるし吸収するし、日本語がフィルターの網目が1番細かくて精度が高いのは、当然かなぁと思います。
今はプログラミングを学んでいるけれど、作りたいもの、起こしたい事象の変換にプログラミングていうフィルターを使ってるだけです。プログラミング言語は別名「機械言語」だし(我々人間が使う言葉は自然発生なので「自然言語」といいます)。
私は言葉を愛しています。
言葉を学んで世界を変換します。変換のフィルターを磨いて、語彙力と知識の網目を細かくしていけば世界はもっと色々な側面を見せてくれると思うのです。
かくして、今日も私は「言葉」に想いを馳せるのです。
頑張るということ
今日はもう一つ。書ききれるかは分からないので日付は書かないでおきます。
インターンを始めてから「働く」ということを今まで以上に考えるようになりました。
どんな風に働くのか、どんな企業がいいのか、何を重視するのか。
考えは尽きません。
どうせ今年の冬には就活が始まるので、考えるだけは考えておこうかなと思ってます。
それと同じくらい考えるのは「家庭環境」と「自分の選択と努力」のこと。
東京都心、かつ逆学歴コンプレックスといっても過言ではない人がトップを務めているだけあってインターン先の塾には名だたる私立中学校所属の生徒が多い。私が地元で働いている塾とは生徒の勉強に対する態度に天と地ほどの差がある。
「勉強とはするもの」
かく言う私も基本のスタンスはこれで、その根底には間違いなく家庭環境がある。
こどもちゃれんじの付録で遊び、赤ペン先生の愛ある添削で育ったので「勉強」というものに対するハードルは低めで、両親には感謝しかない。
けれどそういった家庭環境による先天的な要因と今の私は地続きであってもイコールではないと思いたいのである、がなかなか上手くはいかない。
母とインターンの話をしている時に「私って結構色々頑張ったな、と思うんだよね」と言ってみた。小中は地元の公立校で、塾には行っていたけれど週に1, 2回程度。学校生活の8割は部活が占めているなか、高校は一応県内トップの公立高だったし大学も有名(かは怪しいが)国立に現役合格した身である。
勉強を当たり前にしてくれたことに感謝はしているけれど、その性質をきちんと活かすと選択したのは私だし、決めて勉強したのも私であって、性質はあくまできっかけに過ぎないと思っている。
けれど母は「そういうふうに育てたからね」(意訳)とにべもない返事。
結構こういうところのある家なので、私は私にいつまでたっても自信が持てないでいる。言い訳かもしれないけど。
私には、家庭環境=先天性の要因しかないのか?
私が頑張ったと思っていることは「頑張れるように育てた」故のこと?
あらゆるものは記憶もあいまいな頃の両親が作ったもので、選択と努力は私自身のものではないのか?
苦しいことのほうが圧倒的に多かった中高の部活をなんとか耐え抜いた結果のタフネスも、活字・言語好きが高じたちょっと自慢出来る語彙力も、勉強を頑張った結果の学歴も、全部「そう育てられた」から?
そうじゃない、と反論する言葉が見つからなくてずっと苦しい。
母は今学校に行けない子供たちの面倒を見る仕事をしている。
「皆に見られている、怖い」「テスト前になると頭痛で学校に行けない」
そういう子たちを母は「弱い」という。
学校に行けない、人間関係を構築できない、繊細過ぎる。
彼らが「弱い」のは現代社会においてどうしようもない事実だ。
けれど「弱さ」は罪ではないはずだし、「強さ」が正義なんてこともない。
強かろうが弱かろうが、生きていける方法を探して生きていくしかないのだ。
私はどちらかというと「強い」方だけど、私の周りには「弱い」方の人が大抵複数いる。
「弱いなぁ」とは思うけれど、言ったところで何にもならないし、彼らも弱くいたくて弱いわけじゃない。
彼らが弱さを免罪符にしない限り、私も強さを振りかざすような真似はしない。
「真面目なのが当たり前で色々頑張ってる夢佳は偉い!」てもっと言いたかったんだけど
でもそうすると、弱い夢佳の時とか、ちょっと不真面目になっちゃた時に、そっちの夢佳が否定されてる気分になったら嫌だなと
今の夢佳も偉いしすごしできればそのままでいてほしいけど、別に変わったからといって偉くないとか幻滅するとかではないから
強い自分が好きで、強くありたいと背筋を伸ばしてきたら自分の弱さを突き付けられた時に揺らぎまくって。そんな時にもらった言葉です。
頑張れる、強い自分が好き。でも頑張れない時も私は私でしかない。どちらも愛していけたらいいと思っています。今は難しいけれど、こういってくれる人がそばにいるのは幸運です。作り上げた人間関係は紛れもなく私だけのものなので、大事に誇っていこうと思うのです。
頑張りがどこから生まれているのか分からなくても、今はとりあえず頑張ることしか出来ないので、日々心の赴くまま頑張ったり頑張らなかったりして生きていこうと思います。
どうか温かく見守っていただけると嬉しいです。
最近のこと
夢佳です。コロナがまた大変なことになっておりますが、皆様いかがお過ごしでしょうか。
私はインターンを始めてそろそろひと月になります。
とにかく忙しなくて、すっかりブログから離れてしまいました。文章化する癖がないからですね…反省。
とりあえずひと月という区切りを迎える前に、今思っている事をつらつらと書いてみようと思います。
ひと月働いてみての感想ですが、
順調とは言い難く、けれど耐えられないほどに苦しいかと言われればそうでもなく、普通に楽しいけど辞めたくないという訳でもない。
そんな感じです。
具体的に掘り下げて行きましょう。
単刀直入、社長の性格がやばい。
新卒で入社したのが電通、てキャリアから分かるようにキャパも理想の高さもメンタルも価値観も桁違いで、我々一般人からはかけ離れている。恐らく自分がそう言われてきたからだろうけど、基本口が悪い。
「使えない」「馬鹿だなぁ」「その考え間違ってるよ」エトセトラ…
この時代、出すとこ出せば一発でパワハラ認定されてしょっぴけるレベル。
そういう強さがなければビジネスを起こして収益黒字化なんて出来ないんだろうけど、部下が喜んで着いていく、という人では決してない。
私は割と慣れてるし耐性がありますが、それでも普通にしんどいし聞いてるとうんざりします。
つまり社長と合わない。就活で大事と言われるマッチングという意味では最悪に近いです。
けれどどうしてか、そんな社長に選ばれた同僚達はとにかく良い人ばかりで。
「二次関数の点Pはどうして動くんですか?」とアホ文系丸出しの質問に「そのうち動かしたくなるよ」「友達だと思って何でも相談してくれていいから」と笑ってくれたインターン院生のSさん。
「俺も分からないことばっかりで…一緒に頑張りましょう!」と出勤初日からとても話しやすかったインターンの同僚Nくん。(※彼は社長にクビにされてしまった…)
「有給使った上で唐突に辞めてやりたいですね!」と輝く笑顔で話してくれた社長お気に入りの同じ大学の1つ下Y先生。
なのより、一番大変なはずのバイリンガル講師のJさんがとにかく素敵な人で。会う度私を心配してくれて、私の不安を汲み取って社長に直談判までしてくれました(※撃墜されていた)。練習したいと言ったら私の拙い英会話にいつも付き合ってくれて、英会話10年選手なのに英語圏への留学経験がない私にとって、英語の先生じゃない初めての話し相手です。有難いことこの上ない。ようやく英語やってて良かったと実感し始めてます。英語楽しい。
仕事は「今の私が出来ること」でほぼカバー出来る範囲で、大きな学びは今のところないし、「これからの私が出来るようになりたいこと」を伸ばせる環境自かは正直謎だし「やりがい搾取か詐欺か」と思わずには居られなかったりもする。(エンジニアの仕事は未だ0なので)
けれどその不満は、今まで何となく周囲の人間関係に恵まれなかった(と感じている)私にとって、生まれて初めて「心地よい」と思える場所を今すぐ手放すにはちょっと足りない。(GW空けにはエンジニアの仕事やらせてもらえるらしいし)(正直それも怪しいけれど)
「何がなんでも残りたい」と思う何かがなければ恐らく8月いっぱいで辞めますが(※社長からの提案)、そんな人達に出会えたことは何にも変え難い僥倖だと思うのです。
それからもうひとつ。
こんな環境でもとりあえず働けていて、一応まだ社長の期待は裏切ってなくて、素敵な同僚達から信頼してもらえているのは、苦しさを積み上げてきた経験があるからだと思うのはきっと自惚れじゃなくて。
ボロボロになっても折れることも逃げることも許せなくて、歯を食いしばって進むことしか出来なかったあの苦い思い出達をようやく糧として昇華させられるかも、と思うのです。
そんな事を思いながら今週もあくせく働く夢佳なのでした。
来月の私は何を思い、何をしているのでしょうか。
見守って頂けると嬉しいです。
社畜プリンセスの面目躍如
夢佳です。
最近の推しアイス、スーパーカップほうじ茶クッキー味を食べながらお送りします。
インターン二日目を終えての感想と、業務の中で感じたことを書き連ねようと思います。
----------------------ここまで書いて寝落ちしました----------------------
本日四日目でした。明日も働きます。週4勤務ですね。
インターン先はスタートアップの学習塾。一応エンジニア希望です、とは伝えて了承されたはずですが今のところひたすら業務をこなしております。
今回のテーマは「もしかして私、めちゃくちゃ仕事できる???」です。
基本的な業務は生徒情報の入力や管理、書類の作成などの事務作業です。その辺りをこなしながら、初日の面談に社長から言い渡された任務「諸業務のマニュアル作成」を主に行っています。
スタートアップ企業ならではなのか、正社員が極端に少ないこの塾は絶賛拡大中で、スタッフを増やすにあたって業務のマニュアルを作る必要があるのだそうです。(それを出勤初日のインターンに言ってどうするの?と思ったのはここだけの話)
この日記を書こうとした二日目は、バイリンガル講師×2と先輩インターン(学年は下)と一緒にマニュアル作成のための会議をした日で。
普段の業務の話を聞いてはまとめ、気になる点を突っ込んだりちょっとしたアイデアを出したり、私としては特に気張らずむしろ「二日目がしきってすみません…」と引き気味に書記兼進行役を務めていました。
しかしまぁ褒められる褒められる!
「こんなにまとまるとは思わなかった」
「今までの話し合いの中で一番生産性が高かった」
「夢佳さんがいてくれてよかったです」
まぁ褒められるのなんの。
久しくなかった感覚なので「は、はぁ…ありがとうございます?」みたいなよく分からない反応をしてしまった。
・ひとつの物事に対して数パターンの想定を常に持っておく
・出来るだけシンプルに、でも情報は落とさないような言葉選びを心掛ける
・漏れなくミスなく作業する。ダブルチェックは基本
・分からないことは聞く、一度で覚える意識+必ずメモする
etc...
私にとってはすごく普通のことです。
けれどその「普通」は私の今までの努力が積み重なった結果なんだな、と今回改めて思ったのです。
中学時代、生徒会長として様々な雑務をこなしたり学校行事の運営や毎回の会長挨拶を考えたこと。
中高共に部活動に生活を圧迫されながらも時間を捻出したり効率を上げたりしてそれなりに勉強していたこと。
そして何より、地獄のような高校の部活の記憶。
意味不明なしきたりにやばい先輩と顧問、半年間計5回の選挙、役員のえげつない仕事量と責任、その他諸々で鍛えられた根性とタイムマネジメントの力。
「今思えばいい経験だったよね!」なんて笑い話にするにはまだ時間が足りないような苦い記憶ばかりだけれど、あの時間が今の私の力になってるのは確かです。無駄じゃなかった、頑張ってよかったとは思ってます。感謝はしてないけど。
この経験と、悪くはない地頭と蓄積してきた知識。
どうやら私はこの会社にとってかなり有用な人間らしい。
社畜プリンセスの名は伊達ではない、ということですね。
久々に自己肯定感が高くなりそうな職場です。働き過ぎないよう気を付けねば…
やっつけで書いたのであんまりよい文章ではないのですが、書く癖が無くならないように手を動かしました。そのうち推敲します。
では、明日も元気にほどほどに社畜プリンセスしてきます。
セルフハードモード
おはようございます、夢佳です。
本日人生初の長期インターン初日、現在出勤中です。
鍋いっぱいの不安に緊張を1カップ、楽しみを分量外で爪の先程。
割と致命的にビビりな私は、新しい環境に入ることや先が読めない状況がとても苦手です。
失敗したら、上手くいかなかったら、辛かったら。
そんな気持ちと妙に滑りの良い想像力というCPUが弾き出す未来予想図は大抵最悪で。杞憂とはまさにこの事です。
ですが前の記事でも言ったように、私は逃げられません。
辛かろうが大変だろうが、逃げるコマンドはまず選択肢にすら上がらない。
だから頑張るしかない。例えしんどくても、頑張るしかないのです。
人生セルフハードモードです。
けれどこの性格のお陰で、「耐える」ことだけは周りの人より少し得意な自覚があります。
努力が手放しで持て囃される時代は終わったし、つらい=努力でも成果でもない。
自ら留まったか逃げられなかったからか、理由は違っても、その場で力を尽くしたという結果は変わらないはず。
そうやって結局頑張ってしまう自分を私は好きではないけれど、嫌いになれないのも事実です。
逃げられないまま頑張って良かったと、いつか思える日が来ると信じて。
コンテニューしますか?
(難易度:ハード)
・はい ⇐
クィア・アイ第1話を観た話
夢佳です。
新エヴァを見て昼寝してたら寝すぎて頭が痛いです。
眠気覚ましと英語リスニング練習のためにNetflixで話題の「クィア・アイ」を観ました。
とりあえず第1話だけですが、感想と関連して私自身の性自認について少し触れたいと思います。
「クィア・アイ」とは
Netflixで配信されているドキュメンタリー番組で、クィア5と呼ばれる5人のカリスマ達が様々な悩みを抱える登場人物を心身ともに変え、前向きになるサポートをするという内容です。
適当に選んだらシーズン5の1話でした。あとで1から見ます。
シーズン5の1話では、ゲイであることをカミングアウトした神父が主人公。ゲイであること、神父であることに誇りを持っているけれど、彼は教会がLGBTQを認めるまでの戦いに参加できなかったことに罪悪感を持っている。クィア5は服や髪型で彼らしさち自信を引き出し、同じ境遇の神父たちと引き合わせることでトラウマを解消、古びた教会をリノベーションすることで人々の憩いの場を蘇らせた。
感想と自分のこと
シンプルに感動しました。自分の過去、自分自身と向き合い、見た目を変えると人はこんなにも変われるのか、と驚きました。
When you come out a little bit later, a lot of the time, many people revert back to their teenage slaves, which is when they probably wanted to come out.
年齢不相応に若々しい服を選んでしまう主人公に、ファッション担当のタンが言った言葉です。失った時間を取り戻すことは出来ない、だから「今」を生きていける服を着る。
ファッションというものに苦手意識と若干の嫌悪感を抱く私にも刺さる言葉でした。
私は自分の性自認に疑問を抱いたことがありません。身体的性は女で性自認も性表現も女です。恋愛への興味はあるし性欲だってそれなりにある。
普通に恋愛して結婚して、いつかは子供が生まれて…そんな未来を夢みていたけれど、最近になって、どうやら「恋愛」は私にとって「私のものにはならないもの」なのだと気が付き始めました。
その根底にあるのは社会の一般イメージ、ステレオタイプ的な「女」への嫌悪感でした。
「女」であるということ
フリル、ピンク、スカート、長い髪、OL、守られる側、モテ、デート服…
特に「かわいい」という言葉には強い拒否感があります。
守られるほど弱くないし、守られたくもない。自分の足で立てるし一人で生きていける。恋をしなくたって、好きな人がいなくたって、私は楽しく生きている。
それなのに、社会を見回すと「かわいくあれ」「恋をしろ」と強要されている気がして息苦しい。特に何か出来事があったわけじゃないけれど、経験するかもしれない「それ」に不安と嫌悪を掻き立てられるのです。
どんなドラマも映画も全部恋愛が絡むし、ヒロインとヒーローの関係はいつだって好きか好きだったか、付き合うか振られる/振るかくらいしかない。
「え~好きな人いないの?もったいない!恋しなよ、楽しいよ!」
誰も好きになったことがないのは変ですか?恋愛感情が分からないのは欠陥ですか?
何気ない世間話に焦燥感が募る。
長年不安定だった親友が相手を見つけて落ち着いたのを見ると嬉しい反面羨ましいな、と思ってしまう。
女子高出身は同じはずなのに、新しい世界で新しい幸せを次々見つけていく同級生を祝福はしていても、置いていかれた気がしてどこか寂しい。
「モテる」なんて気持ち悪いはずなのに、誰にでも声をかけているというバイト先の後輩から見向きもされない自分にがっかりする。
何より、「そんなものどうでもいい、私は私だ」と吹き飛ばせない自分が情けなくて大嫌い。
中途半端に結婚願望があるから、「恋愛なんて必要ない」と言い切れない自分がいる。
この呪縛から誰か解き放ってくれ、とこの期に及んで他人にすがろうとしている自分が気持ち悪くて仕方ない。
もしかしたら、「クィア・アイ」にそんな自分を受け止めるヒントがあるかも?
そんな気がしたので今回この話につなげてみました。
1年あるので、色んな作品、色んな物語に触れてみようと思います。とりあえず「クィア・アイ」と「SHROCK」は見て、そのあとはジョジョとセーラームーンとエヴァンゲリオン辺りかな?おすすめあったらぜひ。
それでは今回はこのあたりで。