先輩に合った話

夢佳です。

 

今日は前のバイト先でお世話になっていた人に会ってきました。

 

英語専攻で去年1年アメリカに留学、この春から院生になるという先輩は所謂「頭良すぎて何言ってるか分からない」系の人。今日も今日とて話の3割くらいは理解不能でした(これでも昔に比べるとだいぶついていけるようになった)。

 

私の研究の話、先輩の研究の話から、大学、英語教育、就活、将来のこと…

とにかく喋り倒してきました。

 

学部の時点で60冊以上の学術書(英語)を読み、修士論文に向けてさらに50冊読むという先輩の学部卒業時の総単位数は180超え。教職をとっているとはいえ驚異の数字です。すごい。

 

そんな先輩と今日話した中で書き留めておきたいのは「勉強したいな」ということ。

 

私は人生において、「知っていて損をすること」はほぼないと思っています。

英語も理科も数学も、政治も金融も経済も、知らないことは少ないに限るし、知らなくて困ることはあっても知ってしまって困ることは普通に生きていればないでしょう。

こういう感じだからか、私は国立大受験のための5教科対策が全く苦ではなかったです。時間がなくて理科は諦めてしまったし社会も倫理1科目に絞ってしまったけれど、どちらも科目の勉強自体は普通に楽しかったと記憶しています。

 

 

昔から勉強は嫌いじゃないのです。

というより勉強はするもので、当たり前のようにやってきたし、これからもずっと勉強しながら生きていくと思います。

 

けれどこの性格(?)は案外珍しいものらしいと最近気が付きました。

勉強嫌いな人は結構多くて、大多数の人にとって勉強とは、「義務じゃないならやりたくない」というものらしい。勿論異論は認めます。

 

勉強に対するスタンスは幼少期の環境が9割だと思うので、こういう風に育ててくれた親には感謝しかありません。

しかしだからこそ、自分の学歴や知識は「親が与えてくれた環境のおかげ」という思いをずっと捨てきれずにいます。親の、環境のお陰だから、自分が積み上げてきたはずのものに露ほどの自信も持てないのです。

「環境か努力か」

私の最大のコンプレックスのひとつです。

(これに関してはまた改めて書きます)

 

そんなことを思いつつも、今私はすごく「勉強」がしたいのです。

時間がなくて偏差値を上げるためだけにした高校の教科学習を今なら純粋に楽しめるような気がしていて、某学習動画サービスを使おうかなと思案しているところです。

 

1年の休学期間はそういう「勉強」にも充てたいなぁ。

 

突き詰めるというよりは、広く浅く色々なことを知りたいです。多分私はそういう学びが好き。因みに先輩は真逆の狭く深くタイプです。

 

「4月から先、何にも決まって無くて怖いんですよ、何が起こるか分からなくて」と言った私に、

「それはそれで楽しみじゃん。色々やってみて自分が本当にやりたい事見つけなよ」

と言ってくれた先輩。

相変わらず不安ですが、少し楽しみになってきました。

今度会う時は「私も今頑張ってますよ!」てドヤれるよう、頑張りますね。

本の重みで賃貸の床凹ませないように気を付けてください。

 

楽しくて充実した時間をありがとうございました。

 

なにを書きたかったのかよくわからなくなったな…

まあ、いいか。

 

では、おやすみなさい。